8月16日の「送り火を灯す集い」が、18日付けの
北海道建設新聞に記事で紹介されました。
やはり北大・森先生のご尽力の賜物。
北海道の建設業界では小泉のことを知らない人はいないとか…。
地元紙にももっと、小泉のことを取り上げていただけるよう
サイト、ブログとしても頑張ってまいります。
おまつりの直前に完成したばかりのプレハブ事務所のなかには、
子どもたちがわくわくしながら遊べるスペースを設けました。
それでは、いよいよメインイベントのひとつである
「まちなか灯籠流し」についてです。
おまつりと言えば、楽しみのひとつはやっぱり屋台!
ということで、はりきって出店を用意しました。
送り盆の8月16日、小泉小学校にて、
地域の夏まつりを兼ねた「送り火を灯す集い」を開催しました。
当日は小泉地区の住民をはじめ500人近くの方々に来場いただき
予想を上回る大盛況の運びとなりました。
「まちの整体」は既存の更新が前提であるが、
集団移転は全く新しい身体として生まれ変わるに近い。
被災しなくとも数十年後にはおそらく、
まちをたたむか否かの選択を迫られたことであろう。
そのような小泉に何十年・何百年もまちを持続できる
ポテンシャルはあるのだろうか。
さて我々は今、東日本大震災という現実に直面している。
これまで被災地を三度訪問した。
阪神・淡路大震災を経験した身であるが、
全く被災の性質が異なるということを直感的に理解した。
阪神のときは、自分の家がそこにあったという痕跡がその場所に残っていた。
今回はその手がかりが全くない。
縮退という言葉が普及して久しい。
例えば限界集落という見方でいえば、
北海道では近い将来消滅すると予想される集落は百数十にのぼるといわれる。
しかし、このような消滅という衝撃的な未来予想図でさえも、
国全体が人口減少しているのだから仕方がないと、
妙に世間は納得しているところがあるようだ。
地方の小都市は、
国レベルの高度成長・人口増加における生産と消費に追従すべく、
これまで必死になって筋肉をつけてきた。
筋力を上げるためなら、中央からのドーピングも積極的に受け入れた。
しかし当然、そのような不自然な筋肉増強は本来の骨格には見合わない。
筋肉とのバランスを欠いた骨格は、
生産と消費に酷使されることで様々な歪みを生じることとなった。
2011年7月16日(土)付北海道建設新聞に
第1回小泉地区震災復興フォーラムの講師として来市いただいた
北海道大学森傑先生の寄稿文『集団移転は未来への贈り物』が
掲載されました。
記事では、フォーラムでもお話のあった「まちの整体」という視点から
日本の地方都市のあり方や、小泉の復興に向けた取り組みにも触れており、
小泉地区がこれから実現しようとしている集団移転にも関わる
前向きで、現実的なビジョンを示しておられます。